今から20年ほど前の事。私は、芝パークホテルという浜松町にあるホテルで、
ベルマンのアルバイトをしていた。
当時、このホテルは宿泊客の6割ほどが外国人で、そのほとんどがオーストリアやニュジーランドからの観光客だった。
ラグビーで有名なオールブラックスの一行が宿泊した事などもあった。
またホテル内にある高級中国料理店「北京」 は、1960年のオープン以来、味にはかなり定評があり、
後に帝国ホテルにもテナント入りした名店で、この店で食事を取る為だけにホテルを訪れる客も少なくなかった。
そんなホテルに、ある時期、パプアニューギニアの伝統舞踊ダンサー達の一行が数日間滞在した事があった。
都内でダンス・ショーの巡業があり、その為の来日との事だった。原住民と思しき10数名の褐色のダンサー達は、いずれも身長が裕に180㎝を超え、
筋骨隆々の見るからに屈強そうな男達だった。
ちなみに彼らがホテルからショーの開催場所に向かう時などは、予め部屋で原住民風の衣装(というか上半身裸。。。)に
着替えてロビーに現れる為、他の宿泊客等は、いったい何事かと、目を丸くして唖然とする光景もしばしば見られた。
そんな彼らが滞在して数日後、仕事を終えた彼らが夜10時過ぎにホテルに戻って来た晩の事。チェックイン客を出迎える為にロビーで直立待機していると、
フロントに一本の電話が入り、私はその電話を受けたスタッフに呼ばれた。
「はい、何でしょう?」
「それがさぁ、マッサージのおばさんからなんだけど、助けてくれって。」
「えっ?助けてくれって、何があったんです?」
「おばちゃんも興奮してて、何言ってんだかよく聞き取れなかったんだけど、すぐに来てくれってわめいてんだよ。
あのパプア (ニューギニア)のダンサーの部屋だから、たぶん言葉が通じなくて困ってるんだろ。行って見てきてくれる?」
「わ、わかりました。」
早速、私はその部屋に向かい、ドアをノックした。
< コン、コン >
< ガチャッ >
中から出て来たのは、客ではなく、マッサージ師の初老の女性の方だった。もうすぐ60代といったところだろうか、
小柄で人の良さそうな丸顔、パーマをかけたショートカット、まさに「おばちゃん」と呼びたくなるようなそのマッサージ師は、
何やら怯えた様子で、すぐさま私の背後に隠れるように廻り込んだ。その身体は心持ち震えているようにも見えた。
「どうしたんですか?言葉が全く通じませんか?」
「ちがうのよぉ、ちがうのっ!襲われそうになったの!!お客さんが求めてくるのよぉ~。」
「えっ。。。」
どう見ても色気を感じるような年齢でもキャラでもない彼女の、意表を突いた言葉、特に最後の「よぉ~」という、
まとわり付くような響きの不気味さに驚愕つつ、私は、部屋の奥でほぼ全裸のままベッドに腰掛けていた、宿泊客の<ダンサー>に声を掛けた。
「Good evening,sir.Is there any problem?」
(こんばんは。何か問題でもございますか?)
「Yes,Big problem!She refused sex! I don’t know why!!」
(ああ、大ありだよ!彼女にエッチを拒まれたんだ! いったい何故なんだい!?)
彼は、本気で嘆いていた。というより、むしろキレ気味であった。私が到着するまでの間に、この部屋で繰り広げられていたであろう、
筋骨隆々のパプア原住民と初老の女性マッサージ師との艶やかなやり取りの映像が、ふと私の脳裏をよぎり、たまらずヒクヒク震え出した腹筋の動きは、
制御不能となる寸前であった。
「No,no sex!She’s just a masseur.Sex,no!」
(ダメです、エッチはダメです!彼女は只のマッサージ師なんです。エッチはできませんっ!)
私は片言の英語で説明を続けたが、彼は首をかしげながら、信じられないというような表情で、「Why?」 を連発し、
眉毛を「ハ」の字にして、顔をしかめるのだった。彼の主張によれば、通常、マッサージっていうのは、当然エッチもOKのはずだろ、との事であった。
< それってパプアの通常ルールなのか? だとしても、こんなおばちゃんでいいのか? >
不謹慎な心の声を抑えつつ、しばらく話しているうちに、ようやく気が治まったのか、彼はしぶしぶ納得するように静かな声で言った。
「OK. No sex.OK.」
若干投げやりなその言葉には、< こんなはずじゃなかった。> とでも言いたげな無念さが色濃く滲んでいた。私はドアの方に振り返り、
困惑気味に立っていたマッサージ嬢(?)に声を掛けた。
「済みません。あの人、パプアニューギニアの原住民で、ちょっと色々と勘違いしてたみたいなんです。説明したら納得してくれましたから、
もう大丈夫です。マッサージ続けてもらえます?」
「ほんとに大丈夫なのよね?求められたら、また呼ぶわよ!すぐに来てちょーだいっ!」
この期に及んでもことさらに不安がるその態度とは裏腹に、私には彼女のこんな心の声が聞こえてくるような気がしてならなかった。
< あたしも、まんざらでもないわねぇ。 >
相手を選ばずに行為を求めるパプアのダンサー、そして、それに怯えるマッサージ師のおばちゃん。その絵ずらは、当時、
二十歳だった私に衝撃的な印象を残し、今もなお、それは脳裏に焼き付いている。
(終わり)