部屋に戻ってシャワーを浴び、ホテルのフロント棟で簡単な軽食を取ってから、例のポンとの約束の場所に向かった。
うだる様な暑さが抜けた夕暮れ間近の田舎道は、 昼間通った時よりも幾分情緒的に見え、赤とんぼでも行き来しそうな、のどかな雰囲気に満ち溢れていた。
日中、一休みした、海の見渡せる丘に差し掛かると、清彦が持参した使い捨てカメラを取り出した。運よく通りかかった地元の人らしき女性に写真撮影を頼むと快く引き受けてくれた。 夕日が沈みかけた海を背景に、二人は肩を組んでフレームに収まった。逆光だとはわかっていたが、ここで撮っておきたかった。後に現像した写真には、オレンジ色に空を彩る夕日を背景に、 「赤富士」ならぬ「黒兄弟」の輪郭だけが、 影絵のように映し出されていたのだった。
ヨットクラブが見えてきた頃には、辺りも暗くなり、約束の売店に到着した頃には 周りは闇に包まれていた。ポンは既に売店の前におり、二人を見つけ、声を掛けてきた。
と、そのポンの背後を見ると、同年代と思しき少年たちが5・6人固まっていた。
「この子達は?」
と清彦が尋ねる前に、ポンが切り出した。
「彼らは皆、僕の友達で、実は今日の事を話したら、皆行きたがっちゃって、一緒じゃダメだろうか?」さすがに気が引けるのか、申し訳なさそうな物言いだった。
なるほど、そういう事か。
確かに人で来いとは言ってなかったし、ポン自身も、 歳の離れたオッサン二人相手じゃ疲れるだろう、等と思いつつ、清彦は一応、浩之に目をやった。
「しょうがねぇだろう。あまり行く機会もないんだろうから。じゃ、みんな連れて行くか。」
ポンにその旨を伝えると、仲間共々、大喜びした。皆、感謝の言葉を連発し、 「一度でいいから行ってみたかったんだ!」 と半ば興奮しながら言う者もいた。
例のディスコは入場料500円程度との事だったが、連中にとってはそう簡単に使える金額ではなかったようだ。
只、清彦が不思議に思ったのは、ポンもその仲間も、どうにも「踊る」のが好きな人種には見えなかった点だ。夜遊びをするような少年達には見えなかった。
とにかくタクシーに分乗し、中心街の近くにあるというそのディスコに向かった。車内で、ポンに今一度、確認してみた。
「あのさぁ、ポン、そのディスコって、オレ達みたいな外国人の観光客が集まる店なんだよな?」
「うん、一番有名で、人気があるよ。」
ふと、不安がよぎった。兄弟としては、当時の六本木のディスコのように、国籍が入り乱れて混沌とした店の雰囲気を勝手にイメージしていたのだが、そんなニュアンスが伝わったのかどうか。
20分ほど乗っただろうか。目的地に着いた。
タクシーを降りると、広場の様な行き止まりの空間の先に、大型倉庫のような建物がそびえ立ち、それらしいネオンの文字が壁面を華やかに飾っていた。 昔東京で流行った湾岸エリアのクラブ、「ジュリアナ」やら「ゴールド」やらを彷彿とさせる外観の雰囲気ではあった。
浩之が言った。
「おおぁ、なんかイイ感じじゃねぇ?」
入場料の支払いを済ませると、浩之を先頭に皆ゾロゾロとエントランスから入っていった。ダンスフロアに向かう通路に、中でかかっている音楽が漏れてきた。
「あ、れ、この曲は、、、」
ホールに足を踏み入れると、やはり倉庫のように天井の高い、巨大な空間が現れた。
が、何か変だ。
欧米人らしき客は見当たらず、ホールでは立飲み式のテーブルで身を揺らしているタイ人はいても、いわゆる「ディスコ的」な踊り方をしている客が見えない。
そして、客のほとんどが視線を一方向に向けている。ステージ上で曲を演奏している、これまたタイ人のバンドに対してである。曲は明らかにタイのポップ
ソングであった。少しばかりコミカルなメロディーの独特なテイスト。
「こ、ここは、ディスコじゃなくて、ライブハウスじゃないかぁ~!」
と心の中で叫んだ清彦を横目に、ポンたち高校生一行は曲にノリノリで、ステージに貼り付くように、そのタイ人バンドに熱い視線を向けているのだった。
やがて清彦に近付いてきた浩之がポツリと言った。
「きよ、やられたな。連中にとっては、これがディスコなんだろうよ、きっと。」
その後、1時間以上が過ぎても、例のローカル色の濃い生演奏が終わる事はなく、また英語の歌詞を耳にする事もないまま、兄弟はひたすら、酒を片手にタバコを吹かし続けるしかなかった。
しばらくして、ポンと仲間がステージの前を離れて戻ってくると、皆一様に感動しまくった様子で、またもや「Thank You !」「Thank You!」の連発。 仕舞には握手まで求めて来た。これには浩之も苦笑しながら呟いた。
「これほど喜ぶんなら、まぁ、いっか。」と。
もう今日の夜は諦めよう、と二人とも気持ちを切り替え、店を出ようとした時、浩之が言った。
「街に出たついでだから、ワイン買っていこうぜ。」
大のワイン好きの浩之だったが、考えてみれば、飛行機の機内で飲んで以来、口にしていなかった。
タクシーに乗り込むと、連中が教えてくれた中心街近くの店を経由してもらった。 スーパーのような店を想像していたのだが、実際には格式高いワイン専門店のような、
この辺りでは場違いな雰囲気の店だった。
重厚な木製のドアを開けて入ってみると、実際、置かれているワインの値段も全体的に日本よりも高い感じで、1本3,000円を下るものが皆無に等かった。 そもそもある一定のランク以上のものしか置いていないようだった。客も兄弟二人以外はおらず、地元の人用というより、 プーケットに住むヨーロッパ人がたまにまとめ買いをしに来るような店だったのかもしれない。仕方なく、 中では最も安いと思われた赤ワインを一本買い、ナイハーンビーチへと戻った。
例の売店付近で降りたポン達から改めて感謝の言葉を浴びながら、兄弟は更に奥のジャングルビーチ・リゾートまで行ってもらうよう、運転手に交渉した。 ヨットクラブより先には行けない、と言われたが、何とか頼み込んで、行ける所までは行ってくれる事にはなった。
来る時に気付くべきだったが、あの田舎道に街灯などなかったはず。真っ暗な中を歩く距離は少しでも短くしたかった。ヨットクラブの敷地を過ぎた辺りで、 運転手がもう無理だと嘆いたが、「Please!!!」と拝み倒し、何とか例の丘の上辺りまで行ってもらった。 もはや四輪駆動のでもない限り厳しそうな路面だ。
ところが、運転手も覚悟を決めたのか、もしくは、こんな真っ暗な道に二人を降ろすのに気が引けたのか、無言のまま走り続け、 結局、車はジャングルビーチに到着しまった。ラッキーだった。あんな暗闇の道で降ろされたら堪らない。
当初ヨットクラブまでという事で交渉した料金に500円分ほど上乗せして支払うと、運転手は素直に喜んで笑顔を見せた。
「Good Night!」
部屋に戻ってからは、小さなバルコニーに出て、酒を飲み直した。蚊に刺されるのは承知の上で、刺されてはキンカンを塗りながら、その晩は遅くまで飲み明かした。