清彦は、三人が乗る飛行機の出発時刻が到底間に合わない時刻である事を願いつつ言った。
「今日くらいはここでのんびりしようよ。」
「いいや、これといったもんも無いし、もうここにいてもしょうがないって。あっ、きよ、きよ、これだろ、これ。11時45分のヤツ!近い時間帯のはこれしかない。」
清彦が腕時計に目をやると、文字盤の針は11時13分を指していた。
「無理だって!あと30分だよ!?フライトの変更手続きだってスムーズにいくかわからないんだ。」
「いけるだろ?表通りまで歩いてトゥクトゥクでかっ飛ばせば余裕だろ。ダメならダメで引き返せばいい。」
浩之の言葉の余りの迷いの無さに、妙に腹立たしさを覚えた清彦だったが、もはや考えてる余裕はなかった。
「、、、わかったよ、じゃぁ、もう出よう。」
従業員に挨拶し、すぐさまゲストハウス前の通りに出た。
通りと言ってもこの小道では通行量が少なくタクシーも拾えない。大通りまではどんなに早く歩いても5分以上はかかりそうな気がした。舗装の悪い道をガラガラと、大きなスーツケースを引きながら歩く浩之の身なりは、先程の真っ赤な海パンにビーチ・サンダル、それが全てだった。まるで海水浴客だ。
一方、清彦はキャスター無しのショルダーバッグだったが、中には酒の瓶なども入っていて決して軽くはない。みるみるうちに汗が滴り落ちてきた。
やっとの思いで大通りに出たが、なかなかタクシーやトゥクトゥクが捕まらない。
「歩けるとこまで歩こうぜ。きよ、後ろからタクシー来たら止めてくれよ。」
「わかった。」
清彦は後方の道路に目を向けながら空車のタクシーを探すが、こんな時に限ってなかなか見つからない。そのうち、通り過ぎていく車やバイクからの視線がやたら気になり出した。
清彦へではない。前を歩く兄への視線だ。
それもそうだろう。オレンジ色の衣装に包まれた仏僧の横を、スーツケースを引いた全裸同然・赤いパンツの男が平然と歩いて行く光景に、視線が集まらないわけがない。バイクの後ろに乗っている若者などは、後ろを振り向きながらいつまでも大笑いしていた。そんな「人目を惹く」服装が功を奏したのか否か、やがて目の前に一台のトゥクトゥクが止まった。
すかざず浩之が運転手に向かって叫んだ。
「エアポート!スペシャル・ハリー・アップ!!」
少々おかしな英語だったが、運転手は快く頷いた。
車に乗ってからは流石に早かった。なんとか「物理的」には間に合いそうな気はしてきた。間もなく、空港の外周フェンスが目に入り、やがて空港の小さなターミナルビル正面玄関の真正面に車が止まった。
出発15分前くらいだったろうか。
急いで運賃の支払いをする清彦の耳に聞き覚えのある声が入ってきた。
「今里さん!何やってんすかぁ!!」
先に降りてスーツケースを引きながら入り口に向かう浩之の頭越しに、腹を抱えて笑っている青年三人衆の姿が見えた。
「しかも、お兄さん、何で海パンなんすかっ!?」
「いやぁ、みんなの後を追っかけようって急いで出てきたから、シャワーから出てきたまんまなんだよね。」
再び笑いが起こった。
身近な三人が笑った事で、周りの利用客も免罪符でも渡されたような気になったのか、拍手喝采と共に、空港のそこらじゅうから笑い声が巻き起こった。
後から小走りで入ってきた清彦はそんな集団を横目に、変更手続きも兼ねたチェックインの為、カウンターにそそくさと向かった。幸い、席もさほど混んではおらず、手続きもスムーズで、なんとか搭乗できる事になった。
清彦が搭乗券を手渡す頃には浩之も着替えを済ませており、Tシャツとカーゴパンツという無難な出で立ちになっていた。
「おぉ~、きよぉ~、なんやかんや間に合ったなぁ。」
「まぁ、結果オーライかな。」
機に搭乗してみるとかなり空席が目立った事もあり、兄弟は三人が固まっていた席のすぐ近くに移動した。首長族村にいた時のように、また切れ目のない会話が雲の上で続いた。
チェンマイまでは30分程だったろうか。あっという間だった。ここからはみな別々の予定を持っていた。空港で束の間の歓談の後、今度はみんな揃って本当の解散となった。浩之もみんなと存分に話せてとても満足げだった。最後にみんなで固い握手を交わし合い、日本での再会を誓って分かれた。