リーマン・ブラザーズ

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2009年の秋、私は思うところあって、12年間勤めて来た旅行会社を退職した。理由は色々とあったが、40歳を前にしてもう一つだけ、 異なる業界・職種の仕事を経験してみたかったというのが率直な理由だった。

リーマンショックの後遺症が尾を引く不景気の真只中、 しかも40近い独身男が次の職の当てもないまま会社を辞める等というのは正気の 沙汰ではないと言われてしまえばそれまでだが、こんなご時世でも条件を選り好みしなければ転職ができるのではないか、また転職するなら年齢的に 最後のチャンスではないか、そんな考えが自分自身の背中を押したのだった。

退職後は当分の間、在職中にできなかった好きな事をしてのんびり過ごし、その中で興味を持った事柄をきっかけに新たな仕事を探せばいい、 そんな漠然とした、言い方を変えれば、だいぶ甘っちょろい考えでいたのも事実だった。

そんな経緯で退職してから程なく、11月初旬のある朝、目覚めて間もない私の頭の中に、ある願望がフッと湧いて出た。

<京都に行きたいなぁ。>

普通であればそんな突飛な思い付きは無視して心の奥にしまってしまうものだが、自由の身になった今となっては、できない事でもない。
そんな風に考えているうち、JRのCMでお馴染みのあのフレーズが、ゴンチチの流れるようなBGMと共に頭の中に旋回し始めた。

<そうだ、京都行こう。>

その時の決断は自分でも不思議なくらいに早かった。その時点で朝6時を回ったくらいだったが、すぐに着替えを済ませると、 鞄にパソコンだけを詰め込んで、いざ東京駅へと向かった。

ごった返す通勤電車を乗り継いで東京駅に着くと、すぐに新幹線の切符売り場へと向かった。
とそこには、出張に向かうのであろう コート姿のサラリーマン達が長蛇の列を作っていた。本来ならば、平日のこのような時間帯、自分も彼らと同じような出で立ちだでいるはずだ。
が、そんな彼らとは対照的なダウンパーカーにコーデュロイの自分の身なりが、会社という拘束から身を解かれた自分の立場を実感させ、妙に心地良くも思えた。

切符を買った後、駅弁を買い込むとホームに上がり、喫煙コーナーでここぞとばかりにマルボロの煙を燻らせた。 やがて到着した新幹線に乗り込み、軽食を食べながら、買っておいた缶チューハイを開けた。

平日の朝から酒を飲みながら京都に向かう。普段はできない事だ。そう思うとささやかな喜びが心をくすぐった。

<今頃、島村は上手くやってるかなぁ。柴山は相変わらず寒い冗談言ってんのかなぁ。>

滑るように後方へ流れて行く窓外の景色を眺めながら、ふと前の職場の部下達の面影が頭をかすめた。
幹線の心地良い揺れの中で、 入社から退社までの12年間に起きた会社での出来事や思い出が次から次へと頭に浮かんでは消えて行った。

思えば、入社4年後に起きた9.11テロを皮切りに、SARSや鳥インフルエンザ、燃油高騰にリーマンショックと、 もはや偶発事象とは言えないような頻度で、旅行業界全体を疲弊させるような事件が次から次へと相次いだ。
それでも、最悪な状況では会社を辞めたくない、そんな意地だけでその後もガムシャラに突っ走って来たのだが、ここへ来てようやく会社の業績も安定してきた事もあり、天の邪鬼な私は、敢えて会社として良い時期に転職を決意したのだった。

<結局、思い立ったまま来ちゃったな、京都。>

東京から2時間半、着いたのは10時半くらいで、そのまま観光するにはちょうど良い時間帯だった。
国際的な観光地としての 威厳を誇るかのように巨大な駅ビルの中をしばらくうろつきながら、これからの予定について考えた。車中では何も考えず、 京都に着いてから気の向くままに周遊しようと思っていたのだった。

ふと傍らにあった観光案内所のパンフレット等を見ているうちに、紅葉の名所特集の写真が目に付いた。

<この時期、まずは紅葉か。>

紅葉ときて、私の中で真っ先に思い浮かんだのは神護寺だった。神護寺は市外の北西に位置する高雄にある山岳寺院で、紅葉の名所として知られている。 また高台から山間の谷底に向けて、厄除け等の願いを込めながら素焼きの円盤型土器を投げる「かわらけ投げ」なる遊びもこの寺の名物になっている。
私自身、過去何度かこの寺を訪れた事はあったが、よくよく考えれば、肝心の紅葉の時期には一度も足を運んだ事がなかった。

駅前のターミナルからバスに乗り込み、現地へと向かった。平日という事もあってか、バス亭で降りる人はまばらだった。 数件あった土産屋をざっくりと見て回ったあと、境内まで続く無数の石段を登り始めた。
やがて所々に紅葉の鮮やかな朱が目に飛び込んで来ると、 徐々に自分が京都に来ているという実感が湧いて来た。
傍らにあるオープンエアーの茶屋では熟年層の観光客達が歓談をしている。 足元を苔に覆われた木々の間から程良く木漏れ日が差す縁台には、茶屋らしい赤い毛氈が敷かれ、なんとも京情緒溢れる茶屋だ。 せっかくだからとコーヒーを飲みながら一服したものの、男一人でいる事の違和感になんとなく落ち着かず、程なく店を後にするのだった。

そうしてしばらく神護寺を見て回った後は散歩しながら周辺の寺社を巡った。この後は市内に戻って近場の観光名所を回るつもりでいたのだが、 高雄の紅葉を見れた事で、なんだか半ば目的が達せられたような気になり、正直、後はどうでも良くなってしまった。

(次のページに続く)

       
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